モブサイコ100(1期)のアニメが最終回となり、11話・12話での感想を書き綴ります。
モブの師匠の霊幻新隆と爪(第7支部)の戦いを見て、「私はこういう大人になりたい」「霊幻のような生き方もいいもんだな」と感じた人は多いはず。
そんな霊幻新隆師匠のモブサイコ100の11話での、名場面や名言を振り返りながら、「大人とはこういうこと」というのを学んでいきましょう。
目次
モブサイコ100最終回11話の霊幻VS爪(第7支部)との戦いで学ぶこと
「爪」とは世界中にいる超能力者を集めて、世界征服を企む組織のこと。
その爪の第7支部の幹部たちにモブたちは捕まります。
モブが本気になり、100%の力を出せば勝てない相手ではありませんが、師匠の霊幻は「超能力で人を傷つけることはダメだ」と促します。
自称霊能力者(詐欺師)の霊幻が本物の超能力者になる
霊幻新隆師匠はモブにこう言い聞かせます。
「逃げることも大切。戦うことが全てではない」
そういっては、「大人に任せろ」といいながら霊幻師匠は次々と第七支部の幹部たちを倒していきます。
もちろん、霊幻には超能力はありません。
カラクリは、霊幻師匠に対するモブの信頼と尊敬の念が、1000%の力として師匠の体に送られたということ。
霊幻も途中でモブの力だと気づきましたが、ここで「大人の戦いとはこういうこと」だと霊幻師匠は教えます。
特殊な能力があっても所詮は庶民であり人間
人とは違う超能力を持ってしまった人間は、大人になるにつれて「自分は特別な人間なんだ」と思い込むようになります。
これは何も「超能力」に限ったことではありません。
- お金持ち
- 学歴が高い
- 仕事ができる
- 運動神経がいい
- イケメン・美人
人にはそれぞれ「個性」というものがありますし、得意・不得意は必ずあるもの。
これができるからといって、特別な人間でもなければ、偉いということでもありません。それは特殊な超能力でも同じこと。霊幻師匠はそれをモブたちに伝えたかったのです。
所詮人間は一般庶民であり、神でもなければ、悪魔でもないということ。
そんなカッコいい大人の霊幻師匠の戦いはこんな感じです。
動く1000%霊幻新隆師匠置いておきますね #モブサイコ100 pic.twitter.com/Amibx4Yf1J
— 坂本、調子こき100% (@knpp86) 2016年9月26日
爪の第七支部長「遺志黒」のような大人にはなりたくない
爪幹部の第七支部長「遺志黒(いしぐろ)」のような大人にだけはなりたくない。
遺志黒の超能力は、引力を操って敵を倒す力なのですが、大人になってもその特殊な超能力に溺れている悲惨な大人の一人。
霊幻師匠がガスマスクを取り外すと、若い女の子と思っていた声とは裏腹に顔は以下の通り。
歯がボロボロに抜け落ちて、顔中傷だらけのおじいちゃんでした。
いつまでも自分の特殊能力に溺れて生きていくと、このような末路になるということでしょうか。
大人になりきれない人生の末路の縮図を、モブサイコ100でも学べたワンシーンでした。
【モブサイコ100最終回11話感想】霊幻と爪の戦いで学ぶ!大人とはこういうことのまとめ
人間は神ではありません。
どれだけ素晴らしい特殊能力があったとしても、人を傷つけたり、困らせたりする能力は「悪」と同じこと。
どんな能力でも、人の役に立つことができればそれは本当に素晴らしいことです。
大人になるにつれて、夢や希望はなくなりつつありますが、夢を見るだけでは生きていけないというのも現実。
夢を見ずに現実だけで生きていくのもまた何かが違うと感じる今日この頃。
どちらにしても、大人というのは「人を傷つけない」「夢だけに生きない」「現実も受け入れる」ということですね。
それでは、モブサイコ100の2期放送にまた期待しましょう。
【モブサイコ100最終回11話感想】霊幻と爪の戦いで学ぶ!大人とはこういうことを最後まで読んで頂きありがとうございます。
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